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大人のデニムスタイルにはヴァシュロン

ジャガー・ルクルトの歴史は、アントワーヌ・ルクルトが1833年にスイスのジュウ渓谷で設立したアトリエから始まる。創業当初から、デザインや部品の組み立て、装飾などに至る180種の技術を持つ職人たちが集まり、時計の心臓とも言われるムーブメントの全パーツを自社で生産する、世界でも数少ないマニュファクチュールだ。

同社が開発したムーブメントは1200を超え、そのクオリティの高さから多くの有名時計ブランドにムーブメントを提供。角形時計の永世定番「レベルソ」やクラシックな「マスター」など、アイコニックピースも多数輩出してきた。


時計愛好家からも絶大な評価を受けるこの老舗ブランドの時計を、尾花さんはどう見ているのか。スーパーコピーブランドまずは自身の時計遍歴から聞いてみた。


「僕、そもそも古着屋でしょ? そうなるとワンセットでヴィンテージのロレックスってイメージがくっついてくるわけですよ、90年代初頭って。

でも、こだわった店員を気取りたかったから、そこにはいかず(笑)。ジーンズも、リーバイスのXX(ダブルエックス)は選ばず、あえてファクトリーブランドのマイナーなものをはいたりね。とにかくステレオタイプは嫌だった」。

よって、ヴィンテージ時計とは距離を置いていた尾花さんだったが、時計に詳しい人からの話で、毛嫌いしていたそれらが、自分が好きなミリタリーウェアなどと同じく、いわゆるスペックですべてが成立していることを知る。

そこからは一気にヴィンテージ熱が盛り上がり、狂ったように時計を買い漁った。


「昔から角形時計は好きなんですが、当時、クラシックなデザインに惹かれてジャガー・ルクルトの古いレベルソも手に入れましたよ、海外から取り寄せて。ブランドコピー当時買ったヴィンテージウォッチは今でも手元に15〜16本くらい残ってます」。

もともと凝り性な尾花さんは、あえてコピー品の時計を購入して、本物とどのくらい違うか徹底的に研究したこともあったという。

ところがやがて、「これは俺がやらなくてもいいな」と思い始め、徐々にクールダウン。同時期に体のトレーニングを本格的に始めたこともあり、ヴィンテージ時計やドレスウォッチを着ける機会は減っていったという。

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